小田原発、ライフスタイルを考えるメディア

レポート

2025.10.08

【国府津】アートの道を歩んできた二人がたどり着いたのは「“すきま”のたくさんある、原点のようなまち」/矢野誠さん・ひらたよーこさんご夫妻

国府津駅前で撮影された矢野さんとひらたさんの写真

アーティストのライブや展示会場としても活用される「BLEND PARK」や、国登録有形文化財の石蔵をギャラリーにした「KURA」など、アートやクリエイティブの拠点として注目されつつある国府津。最近では国府津駅に巨大な壁画アートが設置されるなど、その熱はますます高まっています。

そんな国府津に、矢野誠さん、ひらたよーこさんという、日本を代表するアーティストご夫妻が移住されたことは、昨年からの隠れた話題でもありました。

矢野誠さんは、1970年代初めから鈴木慶一さん、細野晴臣さん、松本隆さん、筒美京平さんらとともに活動し、多くのアーティストの作曲・編曲、アレンジ、プロデュースを手がけてきた、日本音楽シーンのレジェンド。1990年からはピアニスト・音楽家としてソロ活動を開始し、2009年にはひらたさんとのデュオユニット「やのこにょら」を結成するなど、新しい挑戦も続けています。

ひらたよーこさんは、作曲家の父・筒井広志さんのもとで音楽に親しんで育ったシンガーソングライターであり俳優。ことばをうたうバンド「あなんじゅぱす」を主宰する一方、2011年まで劇団青年団に所属し、多くの海外演出家の作品にも出演。最近はテレビドラマへの出演でも注目を集めています。

第一線で活躍し、世界をめぐって創作を続けてきたお二人が見た“国府津”について、また“国府津のアートの可能性”について、お話を伺ってきました。
矢野さんとひらたさんの写真 やのこにょら(ひらたさん(左)、矢野さん(右))

地域のアーティストたちとの出会いと交流。
かつての旅先のような、国府津の純粋さと心地よさ。

今まで独特な動機とタイミングで、様々な場所を旅してきた矢野さん。
「7年に1回くらい、“逃げる”んです」と振り返ります。幼少期からクラシック音楽を愛していた矢野さんですが、時代の流れや縁もあり、依頼は歌謡曲の仕事が多かったといいます。 

「自分の中にないものだから、ある程度やって、ワーッてパニックになる」

そうして衝動のまま旅へ。 ただ、そのアンテナは常に音楽に向いていました。 
「今はパンクが面白そうだなっていうので、ロンドンに行ったり」宿泊先はミュージシャンや音楽関係者の家が多く、時には世界的なアーティストの家に泊まることも。そこでは音楽を通じて、自然に心を通わせ合っていました。

「エンターテイメントは都会のラットレース(ネズミの競走)、都会の音楽は“勝つためのもの”。そんな話もよくしてた。旅先ではただ曲を聴き合ったり、音楽論を語ったり、そんなことばかりしていました」そうした経験から持つようになったのが「都会にはいたくない」といった思い。

国府津への移住のきっかけは、ピアノの演奏に適した環境であり、二人の音がぶつからず、周囲にも負担をかけない、今の家との出会い。実際に暮らしてみると、フレンドリーで温かい人々や純粋なアーティストたちとの交流が、かつて旅先で感じた心地よさを思い起こさせ、創作の場としても刺激を受けているといいます。

自宅2階の作曲部屋の写真 音に包まれる、自宅2階の作曲部屋
自宅で行った公開リハーサルの様子の写真 ご近所の人たちを招き、自宅で行った公開リハーサル

「ここなら、普遍的に心に届くものを目指して作品がつくれるんじゃないか」

ひらたさんは鎌倉育ち。
東京を拠点に仲間と切磋琢磨し、時にはライバルと競い合いながら音楽や演劇活動をしてきました。けれど、印象に残っている場所は、旅公演で訪れたバヌアツ諸島や、国内では山形の山奥など、どこか自然豊かで素朴な土地。そうした場所に行くと「自分には普遍的な何かがあるのか」「これは本当に面白いのか」と試される感覚になるといいます。

自然の中で準備し、待つ人がワクワクしている空気。
初めて見る舞台に目を輝かせる子どもたち。
言葉を超えて人と人が分かり合い、その場全体から“何かがあふれ出す”感覚。
「その瞬間がすごく楽しい」と語ります。

そして今、その感覚に近いものを“国府津”でも感じているそうです。

夏祭り公演の様子
国府津のあたたかいつながりから生まれた、お寺の舞台で響いた音楽

最初に気づいたのは、人と人とのほどよい距離感。
音楽とともに暮らすひらたさんにとって、ご近所づきあいはデリケートな課題でした。しかし、近所のおばあちゃんに「音楽をやってるからうるさいかもしれないです」と伝えたところ、「私、音楽大好きだからうれしい!」と、驚くほどあたたかい言葉が返ってきました。

あたたかく、けれど踏み込みすぎない、心地のいい距離感。
以降、リハーサルに近所の方を招いたり、逆に当日の音響を手伝ってもらったり、応援団のようにライブに足を運んでくれたりと、音楽を介した新しい交流が生まれていったのです。

また、国府津の最大の魅力は、”すきま”のような空間とも感じていました。

「BLEND PARK」や「KURA」をはじめ、まちのあちこちに点在している場は、すべて手作業でかたちづくられたもの。イベントスペースやギャラリーではあるものの、その使い方は自由。それぞれの“すきま”に対してアーティストがイマジネーションを広げ、活動を展開しています。

「人の心に届く、普遍的なものをつくりたい」ずっとその思いを抱えてきたひらたさんにとって、国府津は、自身の夢を叶える可能性に満ちたまちでもあったのです。

近所の人とのつながりが生まれた、公開リハーサル後の記念写真

たくさんの運命的な“出会い”

何といっても面白いのが、お二人が国府津にやってきて以降の、怒涛の“出会い”のエピソード。

散歩の途中に出会ったギャラリー「KURA」では、ちょうどイラストレーター・たなかきょおこさんの個展が開催中。「実は引っ越してきたんです」と声をかけたところ、返ってきたのは「KURA」や「BLEND PARK」を運営し、地域のアートイベントにも関わる杉山大輔さんの名前でした。

「国府津に来られたなら、すぐ会いますよ」
その言葉どおり、ひらたさんは移住してすぐに杉山さんとつながり、交流は一気に広がっていきました。
 

杉山さんインタビュー記事はこちら
【mi's navi】真面目に楽しく「国府津」をBLENDする-杉山大輔さん
KURAの前で撮影された矢野さんとひらたさんの写真
国府津のアートとの縁を感じる、ギャラリー「KURA」の前で

特に運命的だったのは「フルヤレディスファッション」の古谷友子さんとの出会い。
ひらたさんが曽我エリアの「SOGA BLEND」で展示されていた衣装に一目惚れし、国府津の店舗で試着したところ、まさにシンデレラフィット!探していた理想のステージ衣装に、なんと自身の暮らすまちで出会ったのです。

運命的な出会いの始まり、ひらたさんが一目惚れした衣装

一方で、矢野さんにも“再会”という出会いがありました。
若い頃に親しくしていたミュージシャンの先輩・本多信介さん。互いに国府津に住んでいることも知らなかったのですが、共通の知人が気づき、つなぎ合わせてくれたことで、50年ぶりに再会をはたすことができました。

「青春が戻ってきたみたい」と笑う矢野さん。
若いアーティストたちとの交流、そして、若い頃をともに過ごした旧友との再会。これらの運命的な数々の出会いが、国府津で展開していったのです。

再び国府津で響き合う、若き日の音楽仲間と共に(中央左:本多さん、中央右:矢野さん)

国府津のアートの可能性は
“国府津の暮らしや人との交わりが創り出していく世界の可能性”

あらためて「国府津はアートに向いている場所」と語るお二人。

矢野さんは「down to earth(大地に根ざす)」と、胸に手をあてて口にします。「みんな本物。ラットレースのためにつくったものじゃない。生きる衝動から。それが〇(まる)だよ」
ひらたさんも「杉山さんはハートのある人だし、友子さんのドレスも素敵」と大きく頷きます。

自然に包まれた懐かしい海街。
そこに暮らす、フレンドリーであたたかい人たち。
人と人のつながりが生む、世界の広がり。
面白いこと、楽しいことを追い求める純粋な気持ち。

国府津は、アートの道を歩んできたお二人がたどり着いた、“原点のようなまち”でした。そして、奇跡と可能性に満ちた、心おどる、たくさんの“すきま”のあるまちでも。
これからもここからどんな創造がされていくのか、楽しみにしていきたいと思います。

国府津での暮らしと出会いが重なり合い、これからの作品へとつながっていく

この記事を書いた人

目黒さんプロフィール

移住に関するご相談はこちら

小田原市の暮らしに興味がある方、実際に移住を検討している方を対象に、様々な移住サポートメニューをご用意しています。子育て環境、教育のこと、住まいのこと、買い物事情や仕事のことなど、皆様の疑問を解決します。気になる制度や施設などのご案内も行いますので、お気軽に利用してください。先輩移住者のお話を聞きたい方も大歓迎です!

ページトップ