レポート
一度は行きたい梅の里、曽我梅林の歴史【坂口螢火】
「梅の名所」と言えば、すぐに「曽我!」と返ってくるくらい、曽我の梅林は全国有数の梅の産地です。
それもそのはずで、曽我梅林は水戸の偕楽園、埼玉の越生梅林と並んで、関東三大梅林の一つ!栽培されている梅の木の本数は、約35,000本。そのほとんどは実を採る為の白梅で、春先に里全体が白く染まる様は、まさに圧巻です!
この記事では、曽我梅林の歴史を紹介します。
始まりは戦国時代
曽我梅林の歴史は、戦国時代までさかのぼります。
小田原北条氏(後北条氏)が、梅の実を兵糧用にするため植えられたのがはじまりといわれています。江戸時代には小田原藩主の大久保忠真が、梅の栽培を奨励しました。
特にこの地で梅干し産業が栄えた要因は、当時小田原から二宮町にかけて塩田が広がり、食塩が豊富に採れたためです。
また、小田原宿を利用して箱根山を越える旅人が、弁当の傷みを防ぐために梅干しを欲しがったことも、梅干し産業の発展を促したと言われています。
ヤジさんキタさんも食べた!曽我の梅干し
江戸時代の有名な旅人といえば、「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の凸凹コンビ、ヤジさんキタさんです!
「東海道中膝栗毛」は、江戸から京都まで、ヤジさんとキタさんが、さんざんおかしな失敗を繰り返しながら旅をするお話です。
その中で、小田原名物として梅干しが紹介されています。気になるその場面は……
小田原で一泊した後、箱根目指して張り切って出発した二人だったのですが――、箱根八里で、そろそろとつま先上がりの坂道。ほんの少しも進まないうちに、運動不足の二人は、もうへとへとです。
「いらっしゃいませ~。甘酒のまっしゃいませ~」
という茶店の親父さんの声を聞いて、すぐさま怠け者のキタさんは音を上げます。
「おい、ヤジさん、ちっと休もうよ。おいおい、一杯くんな」
やれやれと床几に腰を下ろし、二人は出された甘酒にホッと一息。
この時、店の親父さんが
「香のものはねえが、梅干しを進ぜましょ」
と、小田原の梅干しを出しているのです!
上記の場面は、小田原を越えた箱根での場面ですが、「小田原宿」でのエピソードはまた格別で、全編の中でもとても人気のある名場面です。
小田原に到着したヤジさんキタさんは、さっそくお風呂に浸かろうとしますが、江戸のお風呂しか知らない二人。上方(京都大阪)風の五右衛門風呂を見てビックリ仰天します(大勢の旅人が往来するので、日本中のお風呂のタイプがあったんですね)。「はて面妖な、どうやって入るのかしらん。でも宿の親父に聞くのは恥ずかしいし……」と試行錯誤の末、とうとう五右衛門風呂を壊してしまったという迷惑すぎる結末。
また 「梅漬」に関する狂歌が読まれたり、「ういろう」の記載があったりなど、今の小田原にも通ずる用語が出てきますので、未読の方はぜひ読んでみてください!
名前の由来は、曽我兄弟!
曽我梅林の梅は、そのほとんどが「十郎梅」という白梅です。
この梅は、神奈川県農事試験場園芸部で、足柄上郡の在来実生より選抜され、昭和35年に小田原市梅研究会が命名しました。昔から小田原に伝わる「曽我物語」の主人公、曽我兄弟の兄、十郎の名をとって、「十郎梅」と名付けられたとされています。
曽我兄弟は、鎌倉時代に父の仇討ちを果した兄弟として有名です。彼らの仇討ちは、日本三大仇討ちの一つに数えられます。
兄弟のうち、兄の十郎は非常に風雅を好み、よく庭木や草花の手入れをしていたと「曽我物語」には記されています。自分の名が白梅に付けられたと知ったら、十郎も喜ぶことでしょう。
なお、昭和35年当時の小田原市長の名前は”鈴木十郎”さん。
同じ名前ということで、意識していた方もいたのかもしれないですね。
かつては流鏑馬も見られた、曽我の梅祭り
二月中、曽我梅林では「梅祭り」が開催されます。富士の名峰をバックに眺める梅林は絶景です!
この時期、曽我梅林では特産品の販売や食堂が開かれるほか、また小田原城址公園では「立春青空句会」なども開かれます。
かつては、曽我梅林「流鏑馬」も行われていました。
この流鏑馬、曽我兄弟の養父(実の父は殺されてしまいました)、曽我太郎祐信(すけのぶ)が弓馬の名手だったことに由来しているといわれています。
流鏑馬は曽我祐信が由来、十郎梅は曽我十郎が由来。曽我梅林と梅祭りは、曽我兄弟に深い縁があるのですね。
参考文献
- 東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1) 文庫 – 1973/9/1 十返舎 一九 (著), 麻生 磯次 (著)
- 曽我兄弟物語―城前寺本 (1979年) -立木望隆(著)
- 小田原の梅―歴史背景の謎を追う (小田原の郷土史再発見 3) 単行本 – 2006/1/1 石井 啓文 (著)
この記事を書いた人
坂口螢火(けいか)
東京在住の歴史作家。小田原の英雄、曽我兄弟に惚れ込んだあまり、何度も曽我に足を運んで取材。城前寺の和尚さんにいただいた兄弟のミニチュアの銅像を毎日拝んでいる。(この彫刻は城前寺にホンモノがあるので会いに行ってください)
著作は「曽我兄弟より熱を込めて」「忠臣蔵より熱を込めて」「山中鹿之介と尼子十勇士より熱を込めて」など。「熱を込めて」シリーズを執筆している。