レポート
異色の菓子職人の新天地は、”居やすい”コミュニ ティタウン-「REAUREAUCAFE」具志堅みかさん
浜町の住宅エリアの一角にたたずむ、「REAUREAUCAFE 青浜店」(「atelie 青」1F)。
そんな小田原に、最近、人気と実力を兼ね備えた洋菓子店が増え始めています。
独特の経歴と肌感覚でスイーツブランド「REAUREAUCAFE」を育て上げ、2021年、お城にも海にもほど近いエリア・浜町に、製造・販売拠点をオープンさせた、具志堅みかさんもその1人。
ご主人の海外赴任先からの"移住者"でもあるみかさんの、明るくフレンドリーな人柄にはファンも多く、そのお菓子の美味しさも相まって、週1~2日(2022年1月現在)のみ営業の隠れ家のようなお店は、いつも多くのお客さんで賑わっています。
ずっと「お菓子一直線!」
「幼稚園の時、母親が有名なホテルのシェフのお菓子教室に行っていて、"お迎えのあと、そこで試食させてもらう"ってコースができたんです(笑)」
幼少期に本格的なスイーツに触れ続け、夢中になったみかさんは、それからずっと「お菓子一直線!」。
短大生の時には、大好きなケーキ屋さんで販売兼製造スタッフとしてアルバイトしながら、既に、いつか持つお店のことを考えていたそう。
ただ、それは一般的な"洋菓子屋さん"とは少し違うイメージでした。
「『路面店を構えたい』っていうのが全然なくて。売上で海外とか移動して、その地でアパートを借りて、ケーキをつくって、人の集まるところで売りたい、みたいな」
街のケーキ屋さん、ホテル、結婚式場や友人のカフェへの卸など、ひと通りの経験を積んだ後、みかさんは、結婚とほぼ同時に、「REAUREAUCAFE」として事業を立ち上げました。
主婦としての生活、別のアルバイトでの収入を得ながら、時折イベントに出店する…といったスタイルで、20年ほど活動しました。
そんな頃、突如、ご主人のイギリスへの赴任が決定。
みかさんにとって、最初の転機が訪れたのです。
イギリスでは”教会のボランティア”として。
絶対条件は、「材料は、冷蔵庫を開けた時にあるもの」。
イギリス・ロンドンでは、ケーキは『趣味で』やっていたという、みかさん。
その内容はかなり特殊で、はじめたきっかけは”教会のボランティア募集”でした。
「教会が希望者の人たちに夜ご飯を提供していたんですけど、応募した時には料理人は足りていて。『何ができる?』と聞かれたので、ケーキならと答えたら、『じゃあデザート部門で』と言われて」
もともとカフェのシェフがやっていたことを、負担軽減のために募集されたボランティア。
当然無償ではありましたが、みかさんには、「これを使っても使わなくてもいい、って」お金を出しても買えないような『シェフの手書きのレシピ』が渡されました。
使用するのはプロが調理をするキッチンですが、『材料は、冷蔵庫を開けた時にあるもの』という絶対条件がありました。
冷蔵庫にある、賞味期限が近いなどの理由でスーパーから運び込まれた牛乳やバター、寄付で集まった食材を使用するか、足りなければ家から持っていくなどして、1年と少し、みかさんはボランティアとしてデザートを作り続けたのです。
そんな頃、今度は、ご主人のシンガポールへの赴任が決定。
みかさんにとって、2回目の転機でした。
シンガポールでは〝お菓子の先生〟として。
絶対条件は、「オリジナルの、できるだけ手が込んでいるもの」。
シンガポールのクッキングスクールでの告知ポスター。(具志堅さん提供)
シンガポールのクッキングスクール、キッズクラスにて。(具志堅さん提供)
シンガポールのクッキングスクールで提案したレシピ。(具志堅さん提供)
シンガポールのクッキングスクールで指導したケーキ。プロによる撮影。(具志堅さん提供)
現地の人に英語で指導する、”お菓子の先生”となりました。
慣れない英語に苦戦したものの、収入はかなり良く、カメラマンが付くなど環境は悪くありませんでした。
しかし、このクッキングスクールの絶対条件である”オリジナルのレシピ”が、みかさんにとってはストレスにもなっていました。
「考えるっていっても、1日2日でできるものじゃなくて。例えば、いちごの季節にいちごのショートみたいなものを提案すると、(競合のクッキングスクールと)絶対にダブる。シフォンケーキなんて、向こうの人は作れるからアウト」
勉強にはなったけど大変だった、と振り返ります。
『オリジナルのできるだけ手が込んでいるもの』を、3時間で2種類作成、完璧にパッキングして持って帰らせる。
このセットを、2年間やり続けたのです。
そんな頃、今度はいよいよ、ご主人の日本への帰国が決定。
帰国後の居住の地であり、3つ目の新天地として選ばれたのが、ご主人の勤務地にもほど近い「小田原」でした。
そして、「小田原」へ。
縁が縁を呼んで、広がる活動。
小田原に移住後、好奇心旺盛なみかさんがまず最初に訪れたのは、早川駅前で開催されていた『早川駅前プチマルシェ』でした。
「せっかく来たんだから、色んなものを見て、色んな人と話したい!」
そんなみかさんに話しかけたのが、現在店舗の入っている「atelie 青」のオーナーであり、施設内にデザイン事務所を構える、ノスリ舎の高橋絢子さん。
今につながる、小田原での最初の出会い。
それがマルシェ会場というのも、イベントが活発な小田原らしいエピソードです。
その後、みかさんは、二宮のシェアキッチン・ICHIで、「REAUREAUCAFE」としての活動を再開。
ICHIで製造したお菓子を、その早川のマルシェで、出店者としても販売するようになっていきました。
また同時期に、南町のレストラン・L’OFFICINA DEL CIBOに客として訪れたことがきっかけで、
同店でスイーツ販売や、イベント時や日曜日のケーキの提供もするようになっていきました。
縁が縁を呼んで活動は広がり、お菓子の美味しさも話題となって、「REAUREAUCAFE」は、小田原で人気のスイーツブランドとなっていったのです。
「小田原」は、1個のコミュニティ
「REAUREAUCAFE 青浜店」。ケースにはつくりたてのケーキが並ぶ。
浜町にある青は、周辺の雰囲気や、今までの拠点だったICHI(二宮)とCIBO(南町)の間にあるという位置も含めて、「場所がいい!」とみかさんも絶賛。
それまでのお客さんや友人知人はもちろん、近隣に住む方たちも度々訪れるようになってきてくれ、「私のケーキの味が好きになってくれてるみたいで、すごい嬉しい」と、喜びを隠せません。
「REAUREAUCAFE 青浜店」。ディスプレイの中にも焼き立てのケーキ。
「うわーって感じ。色んな人が色んな人とつながってる。1個のコミュニティやね、もう。みなさんがその中にいる。面白いです」
実はみかさん、海外滞在時にはノイローゼになりかけたこともあり、「もともと、そんなに適応能力がある方じゃない」のだそう。
事情を知る友人たちから見れば、今のみかさんの姿は驚き以外の何ものでもないのです。
「そんな順応する能力あったんや!?って。『それが小田原やで』、って話にはなってんけど」
どこか誇らしげに笑うみかさん。
もともと観光地だからか、小田原の人たちのオープンで執着のない、ゆったりとした雰囲気も、みかさんにとっては居心地がいいようです。
「街の中が"居やすい"。そうじゃないところもあるのを知ってる私がいうんだから」
「神様、よくこの人たちを周りに置いてくれて」
店内でじっくり選ぶことも、外から購入することも、希望者は中で食べることも可能。ノスリ 舎の高橋さんが入れたコーヒーを飲める日もある(カップのイラストは高橋さんによるもの)。
その歩みを裏づけるのは、お菓子づくりへの情熱と、各国で積んだ稀有な経験。
小田原に来たことや浜町でお店を始めたことは、偶然でありつつも、必然のようにも感じられて、
人のつながり、あたたかさを含めて、みかさんも「ラッキーとしか言いようがない」と言います。
「神様、よくこの人たちを周りに置いてくれて、って」
みかさんの口からまず最初に出てくるのは、ここの"人"たちへの言葉。
それが何より、各国を渡り歩いて小田原に辿り着いた、みかさんの思いを象徴しているようでもありました。
▼この記事を書いた人
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2024.07.30
移住 レポート インタビュー はたらく 子育て オダワラボ研究員【mi's navi】小田原は、自然の気持ちよさも都会的な便利さも、懐かしい"つながり"もあるまち/イラストレーター・水野ちひろさん