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レポート

2022.03.01

異色の菓子職人の新天地は、”居やすい”コミュニ ティタウン-「REAUREAUCAFE」具志堅みかさん

具志堅みかさん。「REAUREAUCAFE 青浜店」キッチンにて、クリスマスケーキを製造中。
具志堅みかさん。「REAUREAUCAFE 青浜店」キッチンにて、クリスマスケーキを製造中。
浜町の住宅エリアの一角にたたずむ、「REAUREAUCAFE 青浜店」(「atelie 青」1F)。

浜町の住宅エリアの一角にたたずむ、「REAUREAUCAFE 青浜店」(「atelie 青」1F)。

城下町の所以か、和菓子店に比べて洋菓子店の数が少ないと言われる小田原。
そんな小田原に、最近、人気と実力を兼ね備えた洋菓子店が増え始めています。
独特の経歴と肌感覚でスイーツブランド「REAUREAUCAFE」を育て上げ、2021年、お城にも海にもほど近いエリア・浜町に、製造・販売拠点をオープンさせた、具志堅みかさんもその1人。

ご主人の海外赴任先からの"移住者"でもあるみかさんの、明るくフレンドリーな人柄にはファンも多く、そのお菓子の美味しさも相まって、週1~2日(2022年1月現在)のみ営業の隠れ家のようなお店は、いつも多くのお客さんで賑わっています。
今も販売する、「REAUREAUCAFE」定番の焼き菓子類。 今も販売する、「REAUREAUCAFE」定番の焼き菓子類。
シェアキッチン・ICHIで販売していた焼き菓子。(具志堅さん提供) シェアキッチン・ICHIで販売していた焼き菓子。(具志堅さん提供)

ずっと「お菓子一直線!」

もともとみかさんは、洋菓子の本場・兵庫県の出身。

「幼稚園の時、母親が有名なホテルのシェフのお菓子教室に行っていて、"お迎えのあと、そこで試食させてもらう"ってコースができたんです(笑)」

幼少期に本格的なスイーツに触れ続け、夢中になったみかさんは、それからずっと「お菓子一直線!」。
短大生の時には、大好きなケーキ屋さんで販売兼製造スタッフとしてアルバイトしながら、既に、いつか持つお店のことを考えていたそう。
ただ、それは一般的な"洋菓子屋さん"とは少し違うイメージでした。

「『路面店を構えたい』っていうのが全然なくて。売上で海外とか移動して、その地でアパートを借りて、ケーキをつくって、人の集まるところで売りたい、みたいな」

街のケーキ屋さん、ホテル、結婚式場や友人のカフェへの卸など、ひと通りの経験を積んだ後、みかさんは、結婚とほぼ同時に、「REAUREAUCAFE」として事業を立ち上げました。
主婦としての生活、別のアルバイトでの収入を得ながら、時折イベントに出店する…といったスタイルで、20年ほど活動しました。
そんな頃、突如、ご主人のイギリスへの赴任が決定。
みかさんにとって、最初の転機が訪れたのです。

イギリスでは”教会のボランティア”として。
絶対条件は、「材料は、冷蔵庫を開けた時にあるもの」。

イギリス・ロンドンでは、ケーキは『趣味で』やっていたという、みかさん。

その内容はかなり特殊で、はじめたきっかけは”教会のボランティア募集”でした。

「教会が希望者の人たちに夜ご飯を提供していたんですけど、応募した時には料理人は足りていて。『何ができる?』と聞かれたので、ケーキならと答えたら、『じゃあデザート部門で』と言われて」

もともとカフェのシェフがやっていたことを、負担軽減のために募集されたボランティア。
当然無償ではありましたが、みかさんには、「これを使っても使わなくてもいい、って」お金を出しても買えないような『シェフの手書きのレシピ』が渡されました。

使用するのはプロが調理をするキッチンですが、『材料は、冷蔵庫を開けた時にあるもの』という絶対条件がありました。
冷蔵庫にある、賞味期限が近いなどの理由でスーパーから運び込まれた牛乳やバター、寄付で集まった食材を使用するか、足りなければ家から持っていくなどして、1年と少し、みかさんはボランティアとしてデザートを作り続けたのです。
そんな頃、今度は、ご主人のシンガポールへの赴任が決定。
みかさんにとって、2回目の転機でした。

シンガポールでは〝お菓子の先生〟として。
絶対条件は、「オリジナルの、できるだけ手が込んでいるもの」。

シンガポールのクッキングスクールでの告知ポスター。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクールでの告知ポスター。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクール、キッズクラスにて。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクール、キッズクラスにて。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクールで提案したレシピ。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクールで提案したレシピ。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクールで指導したケーキ。プロによる撮影。(具志堅さん提供)

シンガポールのクッキングスクールで指導したケーキ。プロによる撮影。(具志堅さん提供)

シンガポールでは、みかさんは、クッキングスクールを運営する会社に勤務。
現地の人に英語で指導する、”お菓子の先生”となりました。
慣れない英語に苦戦したものの、収入はかなり良く、カメラマンが付くなど環境は悪くありませんでした。
しかし、このクッキングスクールの絶対条件である”オリジナルのレシピ”が、みかさんにとってはストレスにもなっていました。

「考えるっていっても、1日2日でできるものじゃなくて。例えば、いちごの季節にいちごのショートみたいなものを提案すると、(競合のクッキングスクールと)絶対にダブる。シフォンケーキなんて、向こうの人は作れるからアウト」

勉強にはなったけど大変だった、と振り返ります。
『オリジナルのできるだけ手が込んでいるもの』を、3時間で2種類作成、完璧にパッキングして持って帰らせる。
このセットを、2年間やり続けたのです。
シンガポールのクッキングスクールにて、記念撮影。(具志堅さん提供)
シンガポールのクッキングスクールにて、記念撮影。(具志堅さん提供)
全く異なる2つの国で、異なる稀有な経験を、積み重ねていったみかさん。
そんな頃、今度はいよいよ、ご主人の日本への帰国が決定。
帰国後の居住の地であり、3つ目の新天地として選ばれたのが、ご主人の勤務地にもほど近い「小田原」でした。

そして、「小田原」へ。
縁が縁を呼んで、広がる活動。

早川駅前プチマルシェでの、「REAUREAUCAFE」出店ブース。(具志堅さん提供)
早川駅前プチマルシェでの、「REAUREAUCAFE」出店ブース。(具志堅さん提供)

小田原に移住後、好奇心旺盛なみかさんがまず最初に訪れたのは、早川駅前で開催されていた『早川駅前プチマルシェ』でした。
「せっかく来たんだから、色んなものを見て、色んな人と話したい!」
そんなみかさんに話しかけたのが、現在店舗の入っている「atelie 青」のオーナーであり、施設内にデザイン事務所を構える、ノスリ舎の高橋絢子さん。
今につながる、小田原での最初の出会い。
それがマルシェ会場というのも、イベントが活発な小田原らしいエピソードです。
その後、みかさんは、二宮のシェアキッチン・ICHIで、「REAUREAUCAFE」としての活動を再開。
ICHIで製造したお菓子を、その早川のマルシェで、出店者としても販売するようになっていきました。

シェアキッチン・ICHIのInstagram。(具志堅さん提供) シェアキッチン・ICHIのInstagram。(具志堅さん提供)
シェアキッチン・ICHIのメンバーとの写真。(具志堅さん提供) シェアキッチン・ICHIのメンバーとの写真。(具志堅さん提供)
南町のレストラン・L’OFFICINA DEL CIBOでの様子。(具志堅さん提供)
南町のレストラン・L’OFFICINA DEL CIBOでの様子。(具志堅さん提供)

また同時期に、南町のレストラン・L’OFFICINA DEL CIBOに客として訪れたことがきっかけで、
同店でスイーツ販売や、イベント時や日曜日のケーキの提供もするようになっていきました。
縁が縁を呼んで活動は広がり、お菓子の美味しさも話題となって、「REAUREAUCAFE」は、小田原で人気のスイーツブランドとなっていったのです。

「小田原」は、1個のコミュニティ

「REAUREAUCAFE 青浜店」店内のディスプレイ。
「REAUREAUCAFE 青浜店」店内のディスプレイ。
「REAUREAUCAFE 青浜店」。ケースにはつくりたてのケーキが並ぶ。

「REAUREAUCAFE 青浜店」。ケースにはつくりたてのケーキが並ぶ。

そんな中、今後の店について思いを巡らせていたみかさんに、高橋さんが提案したのが、「atelie 青」でのみかさんのスイーツの製造・販売でした。
浜町にある青は、周辺の雰囲気や、今までの拠点だったICHI(二宮)とCIBO(南町)の間にあるという位置も含めて、「場所がいい!」とみかさんも絶賛。
それまでのお客さんや友人知人はもちろん、近隣に住む方たちも度々訪れるようになってきてくれ、「私のケーキの味が好きになってくれてるみたいで、すごい嬉しい」と、喜びを隠せません。
「REAUREAUCAFE 青浜店」。ディスプレイの中にも焼き立てのケーキ。

「REAUREAUCAFE 青浜店」。ディスプレイの中にも焼き立てのケーキ。

また、店で直接お客さんと関わることで、小田原の人たちのあたたかさや、"つながりのすごさ"を、より感じるようにもなってきました。
「うわーって感じ。色んな人が色んな人とつながってる。1個のコミュニティやね、もう。みなさんがその中にいる。面白いです」
実はみかさん、海外滞在時にはノイローゼになりかけたこともあり、「もともと、そんなに適応能力がある方じゃない」のだそう。
事情を知る友人たちから見れば、今のみかさんの姿は驚き以外の何ものでもないのです。
「そんな順応する能力あったんや!?って。『それが小田原やで』、って話にはなってんけど」
どこか誇らしげに笑うみかさん。
もともと観光地だからか、小田原の人たちのオープンで執着のない、ゆったりとした雰囲気も、みかさんにとっては居心地がいいようです。
「街の中が"居やすい"。そうじゃないところもあるのを知ってる私がいうんだから」

「神様、よくこの人たちを周りに置いてくれて」

店内でじっくり選ぶことも、外から購入することも、希望者は中で食べることも可能。ノスリ 舎の高橋さんが入れたコーヒーを飲める日もある(カップのイラストは高橋さんによるもの)。

店内でじっくり選ぶことも、外から購入することも、希望者は中で食べることも可能。ノスリ 舎の高橋さんが入れたコーヒーを飲める日もある(カップのイラストは高橋さんによるもの)。

明るくてフレンドリー、でも繊細なお菓子職人は、一直線にお菓子をつくり続けて、気がつけば、若い頃に思い描いたのに近いスタイルで夢を歩んでいるようにも見えます。
その歩みを裏づけるのは、お菓子づくりへの情熱と、各国で積んだ稀有な経験。
小田原に来たことや浜町でお店を始めたことは、偶然でありつつも、必然のようにも感じられて、
人のつながり、あたたかさを含めて、みかさんも「ラッキーとしか言いようがない」と言います。

「神様、よくこの人たちを周りに置いてくれて、って」

みかさんの口からまず最初に出てくるのは、ここの"人"たちへの言葉。
それが何より、各国を渡り歩いて小田原に辿り着いた、みかさんの思いを象徴しているようでもありました。

▼この記事を書いた人

目黒さんプロフィール

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