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移住

2021.01.12

【mi's navi】〝いい時間の流れるまち〟小田原とめぐりあった【木工職人・もくのすけさん】

小田原・箱根の伝統工芸といえば、すぐに浮かぶのが、寄木細工や漆器などの「木製品」。
良質な素材と長年培われてきた技術を活かした器や小物は、日常づかいの生活用品、観光土産品、贈答品として、全国にその名を轟かせています。
また、国の「伝統的工芸品」の指定も受け、近年では若いアーティストの活躍も目覚ましく、オリジナリティあふれる工芸作品を目にする機会も増えてきました。
その中でも、特にあたたかみのあるフォルムとデザインの作品が印象的なのが、木工職人《もくのすけ》こと、鈴木友子さん。
歴史ある伝統工芸の世界の中で、女性、かつ移住者でありつつ、活躍を続けてきた鈴木さんに、小田原での木工職人としての歩みや、工房のある「板橋」の印象、これからやっていきたいことなど、色々とお話をうかがってきました。
お椀からオブジェまでバリエーションは幅広い。

お椀からオブジェまでバリエーションは幅広い。

もくのすけさんの人気商品〝木のオブジェ〟。

もくのすけさんの人気商品〝木のオブジェ〟。

寄木細工を施したアクセサリーや雑貨も人気。

寄木細工を施したアクセサリーや雑貨も人気。

あたたかみのあるフォルムとデザイン。

あたたかみのあるフォルムとデザイン。

一生仕事を続けるんだったら〝大好きなこと〟をしたい。

もくのすけこと、鈴木友子さん。板橋の工房にて。

もくのすけこと、鈴木友子さん。板橋の工房にて。

鈴木さんは兵庫県出身、地元では不動産会社に勤務していました。
日曜大工のようなことは好きだったものの、職業にしようとは思っていなかったそう。
けれど次第にプライベートで木工作業をする時間はとれなくなり、休みの日も仕事のことを考えたり電話対応など、
日々が仕事のことだけで埋まっていくようになりました。職業についての考えが変わったのは、仕事がハードになってきた頃でした。
「一生仕事を続けるんだったら〝大好きなこと〟をしたいな、って思ったんです」
その時鈴木さんの頭に浮かんだのが、子供の頃から大好きだった、〝木でつくる〟ことでした。
30歳直前で脱サラを決意、伝統工芸の専門学校に入学したのです。
入学当初は〝家具職人〟を目指していた鈴木さんでしたが、在学中の2年間で、木工の中でも特に機械を使わない〝手仕事〟の分野に魅せられるようになり、進路変更。
けれど〝手仕事〟だけで生計を立てていくのは厳しい世界でした。
そんな時に思い出したのが、同校の卒業生である小田原の木工職人さんと小田原市役所の担当者が、来校時に「小田原の漆器組合が後継者を募集する」チラシを置いていったことでした。
〝挽きもの〟(回転の力を利用して木材を挽き、円形をつくる)については考えていなかった鈴木さんでしたが、参考までにと同様の方法を行なう地元の工房を見学。
そこで目撃したのは、削る道具も全て自分で火で熱し、叩いて、曲げてつくるという、思っていた以上の〝手仕事〟感でした。
作業で使う道具も自分で調整しながらつくる。

作業で使う道具も自分で調整しながらつくる。

工房の壁いっぱいに並べられた道具たち。

工房の壁いっぱいに並べられた道具たち。

「機械を使用することで量産も可能になるし、仕事としても成り立ちそうだなと思ったんです」
色々な側面から検討し、鈴木さんは「小田原漆器木工ろくろの後継者」に応募することを決意しました。

小田原は、せわしくないけど、文化的な活動とか、刺激がほどよく動いてる街

機械の回転の力を利用して、木材を〝挽く〟。

機械の回転の力を利用して、木材を〝挽く〟。

「後継者募集」の試験に合格し、鈴木さんは小田原にやってきました。
初めの2年間は、漆器組合の伝統工芸士4名による〝ろくろ〟の日替り授業。
「想像できないくらいの枚数を、若い頃から今までずっと挽いてきてる方々。
たまに見せてくれるお手本が本当にすごかった」
たくさんの学びを得たものの、卒業後の進路については、必ずしも就職先が御膳立てされているという訳ではありませんでした。
卒業してすぐの1年間は、国の補助金事業で、業務団体である箱根物産連合会所属の派遣社員という形で小田原漆器の工房に勤務。
2年目以降は、同じ工房に半分就職、半分は独立という形をとって、勤務日以外は会社のろくろを使用させてもらいながら、毎月市内で開催するクラフト市・カミイチや、東京の雑司ケ谷手創り市などに出店していました。
1日10時間以上作業をする時もある。

1日10時間以上作業をする時もある。

「どっちかのイベントが雨で流れたりすると、その先は死んだようにお金がない、みたいな。
カッツカツでした。若返って10年前に戻れるって言われても、もう戻りたくない」と、振り返って笑う鈴木さん。
けれど、そういった場に出ることにより、それまで木工関係の友人が殆どだった鈴木さんに、徐々に小田原や近隣エリアの様々な知り合いが増えていくようになりました。
〝技術を習得したら関西に帰ろう〟と考えていた鈴木さんでしたが、その頃から次第に、「小田原いいなあ」と思うように。
「小田原は、時間がせわしくないけど、ちゃんと文化的な活動とか、刺激がほどよくずっと動いてる街」
徐々に〝小田原〟に工房を持って独立をしていく方向へと、鈴木さんの気持ちは固まっていったのです。

板橋は、ちょっといい時間が流れてるような感じがしたんですよね

工房の中央に〝挽く〟機械、壁には道具や木材がところ狭しと。

工房の中央に〝挽く〟機械、壁には道具や木材がところ狭しと。

工房から顔をのぞかせる、鈴木友子さん。

工房から顔をのぞかせる、鈴木友子さん。

現在、鈴木さんの工房があるのは「板橋」。
もともと板橋に会社の工房があったのが、そのきっかけでした。
「通る人がすぐ横に見えるような工房だったんです。通りがかりのおじいちゃんが『俺の親父もろくろ職人だったんだよ』って話しかけてきたりとか(笑)ちょっといい時間が流れてるような感じがしたんですよね」
ゆるくカーブを描く板橋の道。

ゆるくカーブを描く板橋の道。

路地と大通りと線路が入り交じる。

路地と大通りと線路が入り交じる。

「路地や斜めの道にすごく惹かれるんです」

「路地や斜めの道にすごく惹かれるんです」

おじいちゃんやおばあちゃんが可愛らしい、素朴な雰囲気を感じるのだそう。
また、板橋の〝道が真っ直ぐじゃない〟ところにも惹かれるそうです。
「東西南北碁盤の目みたいな整った住宅街で育ったので、路地や、斜めの道にすごく惹かれるんです。細い道がいっぱいあるのも面白い」
生活面での適度な便利さも、鈴木さんが気に入っているポイントです。
「全体的にすごくバランスがとれてて。銀行も郵便局も、宅配会社もある。めっちゃ使うのがホームセンターとスーパー。ちょっとおいしい和菓子食べたいと思ったら、あって。板橋にないのは、洋菓子店と100均だけ。駅は滅多に使わないけど近いし。全部歩いて行けるんです」
トータルですごくいいところに引っ越してきた、と満足気に語ります。

これからは、「お椀」や「器」にも積極的に取り組んでいきたい

工房の入口に積まれた、仕入れたばかりの木材の山。

工房の入口に積まれた、仕入れたばかりの木材の山。

形づくった器を、工房の一角で長い時間をかけて乾燥。

形づくった器を、工房の一角で長い時間をかけて乾燥。

もくのすけさんの工房にディスプレーされている作品群。

もくのすけさんの工房にディスプレーされている作品群。

イベント出店やショップに並んでいる作品には、どちらかというとアクセサリーや小物、アーティスティックな置物などが多い鈴木さん。
「本当の木を使って家の中に森ができたら」とつくった〝木のオブジェ〟、寄木細工を施したアクセサリーなど、多くの人気作品がありますが、今後は、「お椀」や「器」にも特に力を入れていきたいのだと語ります。
「用途のあるものが好きなんです。役に立つもの。毎日使ってもらうものがやりたいと思っていて」
食器に関しては、意識しているのは可愛らしさよりも、〝持ちやすさ〟や〝口あたり〟や〝盛りやすさ〟。常に盛りつけた後のことを考えているそうです。
夢中になって1日10時間以上作業をする時もある、という鈴木さん。
この日も工房の入口には、仕入れたばかりの木材が山のように積まれていました。
「やってみたいこと、つくってみたいものがたくさんあるんです」
作業は、大変な時もあるけど、やりたかった仕事。
「やりがいがあるし楽しい」と朗らかに笑います。
選びとった、〝大好きな〟仕事。
めぐりあった、「小田原」「板橋」の地。
日々積み重ねてきた技術を糧に、これからも、鈴木さんはここで彼女らしい作品を生み続けていきます。

板橋は、ちょっといい時間が流れてるような感じがしたんですよね

目黒さんプロフィール

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