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移住

2020.08.17

【小田原お仕事レポート】自分たちのペースで、服を通して世界を変えていきたい(NONFLAG)

小田原城から徒歩10分ほど歩くとたどり着くエリア「宮小路」
小田原の昔の街並みの雰囲気が残りながら、ゲストハウスやバーなどが並び、小田原の中でも独特なエリアである。

そんな、小田原の中でもディープなエリアに、2020年3月、アパレルショップがオープンした。

その店の名前は、「NONFLAG」

「NONFLAG」を経営する酒田翼・倫子夫妻は、3年ほど前に、都内から小田原のお隣、南足柄市に移住。
しばらく、都内へ通勤する日々が続いたが、2020年、小田原に自らの店舗をオープンした。

南足柄市への移住のきっかけは、「好きな物件が南足柄市にあった」とのことであるが、小田原に出店したきっかけはどのようなものだったのだろうか。

なぜ小田原でアパレルショップを?

店内の外観 
(翼)店舗についても、きっかけは”小田原”という場所よりも、気に入った物件があった場所が"小田原"でした。でも、そこから小田原駅周辺のことを調べてみると、約19万人という小田原市の人口規模以上に、人の流れがあると感じました。

箱根をはじめ、周辺のまちに行く人たちが多く行き交っているということが、数字的にもわかり、可能性があると思って出店を決意しました。

”宮小路”と”アパレルショップ”という異色の組み合わせ

(翼)周囲の人には結構反対されました(笑)。そもそも、小田原ってだけで反対する人も多かったのですが、宮小路でアパレルショップを開くということは、市外や都内の方だけでなく、市内の方にも驚かれることが多いですね。でも、いざオープンしてみると、雰囲気もいいですし、周辺にジャンルは違えどお店がたくさんあるので、新たなつながりもできつつあります。

服との出会い

店内のようす
(翼)服はずっと好きで、学生時代までスポーツ一筋だったんですけど、スポーツをやめたときに、残っていたのが服だけだったんです。『服で生きていこう』と、そこから専門学校に行って、いろいろ勉強しました。社会人になってからは、大手のセレクトショップに就職して、店舗販売から始まり、バイイング、ディレクターなど様々な業務に携わりました。駆け出しの頃は、自分にとってファッションは”自分が誰よりもおしゃれでいたい、誰よりも服のことを知っていたい”といった自己満足や自己主張に近いものでした。

それがだんだんと関わる人が社内外に増えていき、ファッションの視点が多角的になり、自己表現のツールではなく、あるときはカルチャーに、あるときは社会的観点でファッションをみるようになりました。

売り続けることへの疑問

(翼)ファッションにはいろいろな要素があると思っています。たとえば、”変身願望”ですよね。人に見せたり、人と競ったり、ある種の”ツール”としてのファッションです。それには、”流行”というものが必ずくっついてきて、それが社会的に貢献されるようなものだったとしても、”流行”として消費されていく。もちろんそれは大事なことなのですが、自分は、”デザイナーたちが表現したいもの”としてのファッションが大事だと思ったんです。

デザイナーの生きてきた過程や見えている世界、それが表現されているファッションを、もっと広げていきたいと思ったんです。
自らの店のオープンの地となった”小田原”との偶然の出会い。
まち全体の雰囲気と店のコンセプトがマッチしていることには、オープン後に気づくことになる。

小田原は自分たちのスタイルに合っている

翼さんの横顔
(翼)会社員時代の”とにかく売れる服を沢山売る”という空気が自分たちには合っていなかったと思います。売ることがメインではなく、ストーリーを伝えられる店がやってみたかったんです。

(倫子) 自分達でセレクトショップをやるなら消費社会的なファッションの在り方から脱した持続可能なサイクルを提案するものでないと意味がないと思いました。それは私たちの世代で変えていかなきゃいけない。THE INOUE BROTHERS...(※1)の言葉を借りると「1枚の服から自然の素晴らしさを感じて、背景のいる全ての人を想像して大切にしてほしい」という考え方を、自然に囲まれた小田原ならゆっくりとお話をして、伝えていけると思いました。

(翼)デザイナーの考え方が反映されたものというのは、必ずしも”売れる”というものとは一致しないのですが、それを自分たちなりに表現して売りたかった。まちの人たちが良い意味でマイペースに生きている感じが、”売れている”だけで商品を判断していない気がして、その感じも自分たちに合っているように思いました。それで、蓋をあけてみると、やっぱり所謂”売れる”ものは小田原の人は買ってくれないんです。かわりに、自分たちが好きな本当に買ってほしいものが売れる。

最初は、売れるものと、好きなもののバランスを考えながらやっていたんですが、小田原の人の趣向を目の当たりにして、今は吹っ切れました(笑)

「自然のリズム」が流れている

小田原のまちの印象

(倫子)自然のリズム』ですかね? 人間がつくった時間の流れではなく、大自然がつくった時間の流れがある気がします。

(翼)たとえば、朝は鳥の声で起きたり、夜がほんとに暗いということにあらためて気づいたり、四季をいつでも感じることができたりといったことですね。都内に住んでいたころは、恥ずかしながら、野菜や果物の旬がいつ頃なのか、ということも知らなかったので、それが当たり前のように感じられるということは、とっても価値のあることだと思います。

(倫子) そういう意味では、小田原の印象は、『最高の穴場を見つけちゃった!』という感じですね。
 
(翼)都内にいたころは『飛行機に乗らないと行くことができない』ような場所が、小田原にはあふれてるんですよ。

(倫子) 小田原で好きな場所は『畑』と『海』ですかね。もともと子供たちのために私たちができることは安全な土と食べ物を引き継ぐことだと考えていて有機農法に興味がありました。ここで「あしがら農の会(※2)」に出会い、日々農業を学んでいます。生命力が溢れる野菜たちと畑から見える美しい景色は大自然からの贈り物です。
小田原の海
(翼)あと、小田原の海の良いところって、軽い気持ちでいける所なんですよ。距離的なものもあると思いますけど、都内からだと海にいくのは大作業で、荷物も大量の1日仕事。でも、小田原だったら、『ちょっと海行こうか』で海までいける。手ぶらでいける。

そんな身近な海、生活のすぐ横にある海というのが、すごく良いですよね。

(倫子) 子供って土や海や波など自然がとても似合いますよね。あるべき姿に戻るというか。そんな姿が見られるのも小田原のいいところです!

五感がとぎすまされ、ナチュラルになれるまち

(翼)都内で働いていたときは、圧倒的に家族で過ごす時間が少なかったと思います。少なくとも、家族みんなで同じ時を何日も過ごす、といった形の過ごし方はほぼなかったですね。仕事をする時間も我慢の時間みたいな。それで、ふと考えたときに、自然が近くにあって、でも都内にもすぐいける、そういう視点でとらえたときに、小田原や周辺エリアはすごい魅力的に見えました。

あと、自分の「ふるさと」が欲しかったんです。いわゆる「ふるさと」の景色、というのが自分たちには無かったので、自分たちもほしかったし、子供たちにもつくってあげたいという思いがあって、縁もゆかりもなかったんですけど、このエリアに飛び込んでみました。

(倫子) 小田原エリアを一言であらわすと『五感がとぎすまされ、ナチュラルになれるまち』ですかね?

”ライブスタイル”

(翼)自分がみなさんに提供したいのは、”ライブ(=live)スタイル”。言葉として正しいかどうかはわかりませんが、生活スタイル という意味でのライフ(=life)スタイルではなく、『生き様』という意味での、『ライブスタイル』です。

昨今ライフスタイル提案型のお店は増えていますが、誰かのライフスタイルに憧れたり、何者かわからない人に提案されるライフスタイルには疑問があります。

人はみんな人それぞれ違います。人それぞれの生き方や哲学があって、それが生き様として、固定ではなく、流動的に、その日、その時によって変化していく。そんな人それぞれの"ライブスタイル(生活スタイル)”に華を添えるような提案がしたいんです。

それは身体に触れるものなので少しだけ肌ざわりが良かったり、少し量販で売っているものよりも丈夫で長く使えたり、トレンド性があったり、シルエットが綺麗に見えたりと様々です。

たとえばそれは、メンズ、レディースといった枠組みにはおさめられないものだったり、年齢の枠もこえていくものだったりすると思います。ボーダーレスやエイジレスといった形ですね。ある種ダイバーシティ的な視点もあるんですが、そういう何かのジャンルに収まりきれない、とどまらないという意味もこめて、店の名前は『旗をもたない』の意である”NONFLAG”にしたんです。

今後の展望

3人の写真
(翼)洋服と生活をどう結びつけてていくか。良質なもの、生活の質が変わるようなもの洋服の提供、もしくはイベントや場というものがつくれたらなと思っています。

そういう意味では、”服を売る”だけが大事だとは思っていなくて、デザイナーたちの表現したいものを共有できる場としてもNONFLAGは存在したいと思っていますし、そういう場をつくっていきたいと思っています。

"ファッションの力でまちを変える”ということが、どこまでできるのだろう、というところはありますが、そんなモデルケースのまちに小田原がなっていけるように頑張ります。あくまでも、野望ですが(笑)

(倫子) あとは小田原で生まれ育った子供たちが大きくなった時に小田原は歴史もあるし新しさもあってカッコいい!と誇れるまちであってほしいと思います。
ジャンルの枠、さまざまな枠組みを越えて、固定されたもの(=旗)を持たないスタイルで、まちのスタイルをも変えていく。
NONFLAGの挑戦はまだ始まったばかりだ。 
※1 「THE INOUE BROTHERS...   
デンマーク・コペンハーゲン生まれの日本人兄弟、井上聡(さとる)と清史(きよし)によって2004年に設立されたブランド。
※2 「あしがら農の会」
あしがら地域に様々な循環を作りたいとの思いから、地場・旬・自給を掲げて、1993年に設立。(2003年NPO法人化)

今後の展望

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