レポート
2017.10.19
小田原の熱い祭り!~松原神社例大祭~
全国的に有名な熱いお祭りと聞いて、どこのお祭りを思い浮かべるでしょうか?
岸和田のだんじり祭り、諏訪の御柱祭、灘のけんか祭り…
実は、市外ではあまり知られていないようですが、小田原の松原神社例大祭も、とても熱いお祭りです。
岸和田のだんじり祭り、諏訪の御柱祭、灘のけんか祭り…
実は、市外ではあまり知られていないようですが、小田原の松原神社例大祭も、とても熱いお祭りです。
小田原流!
ゴールデンウイークの5月3日から5日にかけての3日間、町内の神輿が集結。
浜降りや市街地を突っ駆けるさまは勇壮で、他地域ではあまりみられないスタイルのお祭りです。
松原神社は、小田原北条氏(つまり戦国時代)以降、歴代城主が崇敬してきた小田原の総鎮守とされています。
松原神社例大祭は、漁師の祭を起源とする「小田原担ぎ」という独特の神輿の担ぎかたが特徴で、漁場での作業を陸地で再現した形になっています。
浜降りや市街地を突っ駆けるさまは勇壮で、他地域ではあまりみられないスタイルのお祭りです。
松原神社は、小田原北条氏(つまり戦国時代)以降、歴代城主が崇敬してきた小田原の総鎮守とされています。
松原神社例大祭は、漁師の祭を起源とする「小田原担ぎ」という独特の神輿の担ぎかたが特徴で、漁場での作業を陸地で再現した形になっています。
漁師の仕事唄「浜木遣り(きやり)」
浜木遣りを唄うようす
神輿を船に見立て、まず神輿を静止した状態で、木遣り(きやり)を唄います。
木遣りとは、漁師が船を砂地に陸揚げする時や、漁網を一気に揚げる時など、集中して力仕事を行う時に、船頭が音頭を取って、息を合わせながら作業をするために唄う浜唄で、正式には「浜木遣り」といいます。
現代の様に機械で網を巻き上げるわけではなく、何艘もの漁船が網の周りを囲んで、一斉に定置網を人の手で引き上げていました。
この時、全員の息が合わないと網が傾いて魚が獲れないため、引き手は掛け声を必要とし、木遣りが生まれました。
木遣りが始まると網を引かず、唄が一番ずつ終わった瞬間に、勢いをつけて全員一斉に網を引き、徐々に網が重くなってくると引き手が疲れてくるので、そこでまた木遣りが始まり網引きを止め、その繰り返しで引き上げました。
昔は海に落ちて亡くなる漁師も多く、漁は命がけの仕事でした。
そのため、木遣り唄には神を祀る唄も多く、命の唄であり神聖なものでした。
木遣りとは、漁師が船を砂地に陸揚げする時や、漁網を一気に揚げる時など、集中して力仕事を行う時に、船頭が音頭を取って、息を合わせながら作業をするために唄う浜唄で、正式には「浜木遣り」といいます。
現代の様に機械で網を巻き上げるわけではなく、何艘もの漁船が網の周りを囲んで、一斉に定置網を人の手で引き上げていました。
この時、全員の息が合わないと網が傾いて魚が獲れないため、引き手は掛け声を必要とし、木遣りが生まれました。
木遣りが始まると網を引かず、唄が一番ずつ終わった瞬間に、勢いをつけて全員一斉に網を引き、徐々に網が重くなってくると引き手が疲れてくるので、そこでまた木遣りが始まり網引きを止め、その繰り返しで引き上げました。
昔は海に落ちて亡くなる漁師も多く、漁は命がけの仕事でした。
そのため、木遣り唄には神を祀る唄も多く、命の唄であり神聖なものでした。
「小田原担ぎ」は静と動の動き
木遣りが終わるやいなや、「オイサー」「オリャサー」という掛け声とともに、神輿は勢いよく数十メートル突っ駆け、高張りという提灯を持った若い衆の前でピタリと静止。
これは、漁船が漁場まで短時間で移動する様子を表しており、この静と動の担ぎ方こそ小田原担ぎの最大の特徴。
また、民家や商店、地区の祭礼事務所・神社などに、木遣りとともに神輿を担いだまま跳ぶ(走る)さまは全国的にも珍しいようです。
(神輿を担いだまま走ることを小田原では「跳ぶ」とか「突っ駆ける」と言います。)
ちなみに、御魂(みたま)が入っている時に揺らすことは荒波を意味するので行わないそうです。
掛け声も一般的な「ワッショイ」ではなく、漁で網を引き上げる時に使った交互の掛け合いからきているため、「オイサー」「オリャサー」となっています。
これは、漁船が漁場まで短時間で移動する様子を表しており、この静と動の担ぎ方こそ小田原担ぎの最大の特徴。
また、民家や商店、地区の祭礼事務所・神社などに、木遣りとともに神輿を担いだまま跳ぶ(走る)さまは全国的にも珍しいようです。
(神輿を担いだまま走ることを小田原では「跳ぶ」とか「突っ駆ける」と言います。)
ちなみに、御魂(みたま)が入っている時に揺らすことは荒波を意味するので行わないそうです。
掛け声も一般的な「ワッショイ」ではなく、漁で網を引き上げる時に使った交互の掛け合いからきているため、「オイサー」「オリャサー」となっています。
クライマックスは5日夕方からの「宮入り」
宮入りの突っ駆け 50mある参道を猛然と駆け抜け、宮入りへ
5月3日は午後4時から「御魂入れ」といって、各町内の御輿に神様を入れる儀式があります。
4日は本社神輿が神幸祭により「御魂入れ」を行った後、「宮出し」と呼ばれる町内渡御が斉行されます。
また、千度小路龍宮神社と古新宿龍宮神社の神輿が、それぞれ4日と5日に「汐(しお)ふみ」と呼ばれる浜降りを行います。
浜降りでは、神輿が浜に続々と降り、波打ち際を歩き、その後砂浜ですべての神輿が並び、順番に海に向かって突っ駆けます。
「浜降り」というと、茅ヶ崎が有名ですが、実は小田原でも昔からやってるんですね。
そして、5日夕刻の宮入りは、例大祭のクライマックス。
夕方になると、各町内の30基近くの神輿が松原神社周辺に集結。まずその年の年番町内神輿が参道を勢いよく突っ駆け宮入りした後、順々に各町内神輿が、結びに本神神輿が宮入り。これが3時間あまり続きます。
3日間にわたり神輿を担ぎ続けた担ぎ手たちが、最後の力を振り絞って、突っ駆け宮入りする姿は、圧巻です。
4日は本社神輿が神幸祭により「御魂入れ」を行った後、「宮出し」と呼ばれる町内渡御が斉行されます。
また、千度小路龍宮神社と古新宿龍宮神社の神輿が、それぞれ4日と5日に「汐(しお)ふみ」と呼ばれる浜降りを行います。
浜降りでは、神輿が浜に続々と降り、波打ち際を歩き、その後砂浜ですべての神輿が並び、順番に海に向かって突っ駆けます。
「浜降り」というと、茅ヶ崎が有名ですが、実は小田原でも昔からやってるんですね。
そして、5日夕刻の宮入りは、例大祭のクライマックス。
夕方になると、各町内の30基近くの神輿が松原神社周辺に集結。まずその年の年番町内神輿が参道を勢いよく突っ駆け宮入りした後、順々に各町内神輿が、結びに本神神輿が宮入り。これが3時間あまり続きます。
3日間にわたり神輿を担ぎ続けた担ぎ手たちが、最後の力を振り絞って、突っ駆け宮入りする姿は、圧巻です。
この松原神社例大祭は、旧小田原宿26町内の氏子衆(宮入り順番表の上記写真参照)と千度小路古新宿の2つの龍宮神社により行われますが、松原神社と並び小田原城下の三大明神と呼ばれる居神神社、大稲荷神社、それに隣地区の山王神社も、今は同じ時期に例大祭が行われているため、ゴールデンウイークは町中がお祭り騒ぎになっています。
小田原市内には、ほかにも木工・木地挽き職の多い地区、農業地区、樹木を扱う地区など各所で、それぞれの生活風土に根ざしたお祭りがたくさんあり、昔から世代を超えた地域のつながりを強める大事な役割を担っています。
全国的に少子化でだんだんと担い手が減っていますが、小田原では、今もまだまだお祭りが元気です。
【参考文献:松原神社明神會20周年記念誌(松原神社明神會平成27年3月発行)】
小田原市内には、ほかにも木工・木地挽き職の多い地区、農業地区、樹木を扱う地区など各所で、それぞれの生活風土に根ざしたお祭りがたくさんあり、昔から世代を超えた地域のつながりを強める大事な役割を担っています。
全国的に少子化でだんだんと担い手が減っていますが、小田原では、今もまだまだお祭りが元気です。
【参考文献:松原神社明神會20周年記念誌(松原神社明神會平成27年3月発行)】
浜降りのようす(Photo:Keiko Ushiyama)
宮入りを待ち構える担ぎ手
神輿の上にブリが!
-
2024.07.30
移住 レポート はたらく 子育て オダワラボ研究員【mi's navi】小田原は、自然の気持ちよさも都会的な便利さも、懐かしい"つながり"もあるまち/イラストレーター・水野ちひろさん