小田原発、ライフスタイルを考えるメディア

レポート

2015.07.28

小田原人のルーツ??

縄文土器の縄
小田原には、いたるところにきめ細かい機能美、繊細なデザインが根付いています。

寄木細工

寄木細工のお猪口
色彩の異なる木を組み合わせて一つのデザインを作ります。
最近では、組み合わせる模様や削り方をアレンジすることで、シックなデザインも増えてきました。

かまぼこ

かまぼこ
魚のすり身を蒸しあげるものですが、小田原では扇形に盛り付けた板付けかまぼこを小田原かまぼことして販売しています。
ぷりぷりで滑らかな食感はもちろん、お祝いには紅白を彩ったり、飾りを施したりするものもあります。
このように、小田原には、機能性の向上に持てる技を惜しまないきめ細やかな仕事はもちろん、使う人を魅了するデザインにも趣向を凝らすという伝統が息づいています。

実は、この小田原人の気質とも言える「誠実なる美的センス」のルーツ。
その昔、厳しい自然と戦いながらもこの地を切り開いた、古代の小田原人たちにそのヒントが隠されているのかもしれません。

小田原人のルーツを探る

羽根尾貝塚から出土した縄文土器

羽根尾貝塚出土品
これは、羽根尾貝塚から出土した縄文土器です。
全体的に均整が取れ洗練されたフォルムは、上品でどこか優しさすら伺えます。
これは、小田原の地で当時の生活が豊かになり、製作者の感情に余裕が生まれたものではないでしょうか。
この土器以外にも、小田原で出土した土器は、形の作り、器の表面の整え方が、他の地域で作られるものに比べても比較的丁寧だそうです。
羽根尾貝塚は、大磯丘陵から派生する丘陵最先端に位置する、貝塚と低湿地とからなる遺跡で、今から5,800年前の縄文時代前期、縄文海進期と呼ばれる比較的温暖な気候の時代に形成されたと考えられています。
神奈川県西部の貝塚では3例目、泥炭層を伴う貝塚としては神奈川県初で、大変貴重な発見となった遺跡です。

縄文土器の最高傑作

土屋健作学芸員

学芸員 土屋健作さん

小田原市文化部文化財課の学芸員 土屋健作さんは、この土器を「縄文土器の最高傑作」と評します。
土屋さんは、縄文土器の美しさに魅了され、さまざまな地域の縄文土器を研究しており、土器の文様から縄の編み方を想像し、自らその編み方を実現させるほどの縄文土器のスペシャリスト。
そんな土屋さんがこの土器を「縄文土器の最高傑作」と評するゆえんは、土器全体に押し付けられた縄の文様。
この種類と数が他に類を見ないほどの出来栄えだといいます。

デザイン性豊かな文様

羽根尾土器中段
少し詳しく縄の文様を見ていきましょう。
上段には、縄の先端を丸めて輪っか状にして押し付けた“ループ文”と呼ばれる縄の文様がいくつも多くの段に付けられています。
この時代、ここまで丁寧に、手間をかけた仕事はそう多くはないようです。
しかも、中間に別の文様を挟んで、右撚(よ)りと左撚りといった縄の撚り方向を変えることによって文様に変化を付けています。
中間の×印のような2本線のラインは、竹のような筒状になる植物を押し当ててかたどっています。
また、その下には三つ編みの要領で作られた縄がころがされています。
このように、細部にまで細かい仕事を重ねていたことがよくわかります。
ループ縄

ループ縄

三つ編みの要領で作られた縄

三つ編み状の縄

文様の種類は200種類以上!

縄の数々
近年、年代測定の技術が進展し、日本では今からおよそ16,000年前に始まったとされる縄文文化。
それまで、厳しい自然と戦い、まさに“生きる”ことで精一杯だった時代から、火を多彩に操り、生活の一部に土器を用いることで生活が豊かになった時代です。
そして、土器に文様を施すという、何の腹の足しにもならないことへのこだわりは、生活に余裕が生まれた象徴ともいえましょう。
世界中の縄文文化の中で、縄の種類は日本がずば抜けて多く、およそ200種類にも及ぶといわれています。
その中でもこの羽根尾貝塚の土器は、他に類を見ないほど“多彩に多量に縄を押し付けられた土器”だそうです。

日本人最初のデザインともいえる「縄文様」。
古く、この地に住み着いた私たちの祖先「小田原人」は、この頃から新しく、使う人を魅了し、その技を高め合う「誠実なる美的センス」を持ち、それをこの土地に刻み付けてきたのではないでしょうか。

関連情報リンク

こちらの記事もオススメ

ページトップ