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レポート

2015.05.07
鎧塚さんと海

ここに来て、ものの見方が変わった
――― パティシエ・鎧塚俊彦さん(小田原ふるさと大使)

素材を畑から自分の手で
育ててみたい

ブランコで遊ぶ親子
料理人として全国の産地を回る中で、そんな思いが募っていきました。東京のお店が落ち着いた頃、都心から車で1時間程度の距離で、農地を探し始めました。そんな中、ご縁があって訪れたのが、ここ小田原でした。

小田原は、東京から車で約1時間、新幹線なら品川駅からわずか 30分と、アクセスは十分。ここ一夜城は、駅から車で約10分、山のてっぺんです。実は当時、ここは荒れ地でしたが、相模湾を一望できるこの景色が決め手となりました。さらに行政の皆さんや地元の皆さんが僕の地産地消のプランをよく理解し、温かく迎えてくださったので、「ここなら絶対にうまくいく」と、この地でやっていく決心をしたんです。

小田原市は人口約20万。スイスやドイツでは大都市といわれる規模です。海・山があり、柑橘の里で、由緒正しい北条氏の歴史もあります。僕は戦国時代の事実上の終わりは、関ケ原の合戦ではなく、小田原城が開城したときだと思っています。時代にはそのときに必要な人が必ず出てきます。それが北条と豊臣で、ここ小田原が次の時代の幕開けとなったのだと思います。「滅ぼした者、滅ぼされた者」ではなく両者が主役なんです。小田原には、他にはないこうした「素材」がたくさんあります。
農園の手入れをする鎧塚さん
一夜城跡地
一夜城ヨロイヅカファーム
一夜城ヨロイヅカファームの直売所に並ぶ野菜

一番大切なのは、
そこにしかないもの

素材とは磨けば光る原石で、小田原には、まだまだたくさん転がっています。重要なのは、自分が何をしたいかを追求していくこと。
例えば人間も、その人にしかない資質を必ず持っているはずです。それを強みとして最大限に活かし、どう進化させていくのかが
大切だと、僕は思っています。そうすることで、自然と大ヒットするものが生まれたりするんです。

農業を始めて、僕にさまざまな変化が起きました。例えば、以前はみかん一つとっても、食べるなら甘くて皮が薄いのが「いいみかん」、そうでなければ「悪いみかん」と考えていました。ところが自分でつくると、いろいろなみかんができる。しかも収穫したらすべてを使い切らないといけない。そうなると、「よしあし」ではなく、「個性」だと捉えられるようになってきたんです。ジャムやジュースには、皮が薄くて甘いみかんより、酸味やえぐ味のあるみかんの方がいい。焼き菓子には、酸っぱくて分厚い皮のみかんが合うという具合です。スタッフをまとめる立場としても、この考えは活きています。

「いい人、悪い人」ではなく、それぞれのクセともいえる「個性」を捉えれば、すごく活きてくる場所が見つかります。ここで素材を作ったからこそ学べたことです。

あらためて、僕はここの景色が最高に好き。特に春と秋がいい。春は桜より花の時期が長い菜の花。桜はすぐ散っちゃうから悲しいじゃないですか。ここ一面に広がる菜の花畑はそれはもう見事なものです。秋はコスモスが満開になります。

僕は昔から家に対してはあまり興味がなくて、妻と一緒になるまでは、本当にちっちゃなワンルームに住んでいたほどですが、一生このまま突っ走っていくのかなとたまに、思ったりします。やるだけのことをやったら完全リタイヤではないですが、ゆっくりした方がいいのかなと最近思います。そのときはここ、小田原がいい。今そう思っています。
一夜城ヨロイヅカファームのコスモス
ブランコで遊ぶ女の子たち
談笑する子どもたち
一夜城ヨロイヅカファームの入口
一夜城ヨロイヅカファームは、一夜城を後ろに控え、相模湾を一望する風光明美な土地に畑を設置、地産地消を目指したレストランとパティスリー・直売所の一体型レストラン。
鎧塚さんの写真
鎧塚 俊彦(よろいづか・としひこ)
「Toshi Yoroizuka」オーナーシェフ
京都府出身、1965年生まれ。23歳でパティシエの世界に入る。1995年、スイスに渡って以降、オーストラリア、フランス、ベルギーで8年間修業を積む。2000年、INTERSU2000(パリ)で優勝。
日本人として初めてベルギーの三ツ星レストランでシェフパティシエとなる。帰国後、2004年に恵比寿に「Toshi Yoroizuka」、2007年に東京ミッドタウンに「Toshi Yoroizuka Mid Town」をオープン。2011 年、小田原で2,000 坪の農園を併設した「一夜城Yoroizuka Farm」を開設。日本を代表するパティシエとして精力的に活動。2012 年からは「小田原ふるさと大使」に就任している。

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