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移住

2022.11.16

未経験から新規就農者へ。小田原移住で開けた「農家」という生き方【細谷さん・移住・農業】

小田原に移住する前はフリーランスでWeb制作の仕事をしていた細谷豊明さん。2019年に新規就農者として小田原の地で新しい人生をスタートさせました。

自身のWebサイトやSNSでも積極的に発信をされている細谷さんの現在の取り組み、様々な好機が重なって実現した小田原への移住、そして、ご自身が感じている小田原の魅力についてお話を伺いました。

47歳、新米農家として奮闘中

小田原に移住してちょうど3年が経ちました。導かれるように小田原にやってきて、現在は果樹や露地野菜の栽培を中心とした農業を営んでいます。
 

市内の農家さんでの2年間の研修を経て、2022年に自身の農園『ナチュラルファーム・リブラ』を開園。9月には小田原市の認定新規就農者にもなることができました。
 

研修中に学んだ梅、みかん、キウイフルーツのほかに、仲間とともに里芋の栽培を行っています。
 

とくに里芋については、鬼柳地区の農家の方々にご理解・ご協力を頂き、休耕田を利用することで大規模に栽培しようという取り組みを行っています。現在、隣町で種芋の栽培を行っているのですが、2023年の春から同地区で植え付けを開始しますので、楽しみに待っていてくださいね。
 

この里芋には、応援してくださっている地域の方々や、食べて頂けるお客様に親しみを持っていただけるように『北条太郎』という愛称を付けています。小田原のシンボルである「北条」と里芋の英名「taro」にちなんだ名前。
 

この里芋が鬼柳地区の特産品として認めてもらえるように頑張っていきたいです。

里芋の写真
北条太郎のロゴ

候補地・小田原を見つけるまで

小田原に移住する前は、東京で出版社や編集会社での勤務を経て、フリーのWeb制作者、編集ライターとして働いていました。40歳を過ぎたあたりから漠然と「地方で暮らす」ということを考えるようになったと思います。
 

新しい生活を始めるなら、体力のあるうちが良いだろうと思い、2016年頃から候補地を探し始めました。「新鮮な魚が食べられる海沿いの街!」と、当初は千葉の房総や静岡の伊豆などの比較的、遠方のエリアに焦点を当てていました。
 

具体的な進展や決め手が得られないまま時が過ぎ、候補地を東京の近隣に絞り込んだのが2019年の夏。そこで初めて候補にあがったのが小田原です。

小田原は海が近いまち

「農業」というキーワード

都心や羽田空港などへのアクセスの良さ、海沿いの街といった地理的な理由から選びましたが、当時の私には「小田原城」「かまぼこ」くらいの印象しかありませんでした。小田原移住への熱量が高かったとは決して言えない感じでしたね。
 

せっかくの地方移住ですから、本業のWeb制作の仕事と並行して地域に根差した仕事にも携わりたいと考え始め、小田原の職業事情をネットで調べてみることにしました。そこで目に止まったのが「農業」というキーワードです。
 

なぜ、農業だったのか?
 

自分でもよくわからないです(笑)。ただ、サラリーマン時代にECサイトの食品部門でエディターをしていたことがあり、青果や水産などのバイヤーさんとの関わりの中から生産者へ興味を持っていたこと、あとは、単純に北海道育ちなので自然が好き、といった要因が関係していたかとは思います。

小田原市役所の農政課を訪問

百聞は一見に如かず、といいますか。実際に現地を一度訪れてみようと思いました。思い立った時に東京から気軽に行ける距離だったことは、移住に対する心理的な距離も縮めてくれたように思います。
 

せっかくなので、そのタイミングで市役所の農政課を訪問することにしました。この時点では、まだ「農業」も数ある仕事の選択肢の一つに過ぎませんでしたが、現地の人に会うことで新しい発見や進展があるかも知れない。そんな風に考えての行動です。2019年9月上旬のことでしたね。
 

農政課の方はとても丁寧に、小田原の農業の実情や新規就農の方法について教えてくださいました。お話を伺っているうちに、就農への期待がグングンと高まっていったのを覚えています。
 

-Webの仕事を続けながら、農業をするのは今風で格好良いかも!
 

なんて、都合のいいことを考えながら、具体的なことに話を進めていくと、「小田原で新規就農するためには、県の農業アカデミーに通う(1年)か、農家さんの元で研修を受ける(2年)か、の2つの選択肢がある」と、担当の方が教えてくれました。
 

私にとっては、1年間、仕事をせずに農業アカデミーに通うのは現実的ではなかったので、農家さんの元での研修の方に興味がわきました。
 

「研修先の農家さんはご紹介いただけるのでしょうか?」
 

私の問いかけに、
 

「研修先はご自身で探していただくことになります」
 

との回答。
 

これは長丁場になるなぁ、と正直思いましたね。縁もゆかりもない土地で農業の研修先を自力で探すなんて、そう簡単には出来ないですから…。高まっていた期待が少し引いていった感じです。
 

とはいえ、小田原も選択肢の一つ。農業も選択肢の一つ。それまで、何年も移住に向けて動いてきましたから、こういった壁に当たることはよくあることでしたし、まあ、気長に調べていこうと市役所を後にしました。
 

で、駅までの帰り道。ふと、ハローワークでも覗いてみようか、と思い立ったんですよね。地元の旬の求人情報があるかも知れないな、と。この思い付きが大きなターニングポイントになりました。
 

あったんです。1件だけ。
 

「農業研修生・募集」の求人が。

移住の夢が一瞬で現実に

そこからは、早かったです(笑)。
 

翌日に履歴書を送ったら、すぐに面接が入って、その翌週には小田原を再訪。翌日に「採用」の連絡を頂いて、その10日後には小田原に引っ越して……。
 

気が付いたときには、もう、小田原で梅の枝を切っていましたよ。
 

正直、人生の大切な決断をこんな一瞬でしてしまって良いのか?という迷いはありました。でも、転機って案外、こんな風に突然訪れるものですし、この勢いに乗ってみても良いのかな、と。あとは、何より、師匠の「すぐに来い!」っていう圧に押し切られましたよね。
 

今、こうして振り返ってみると、色々な好機が重なっての移住だったという感じがします。
 

研修先がすぐに見つかったことはもちろんですが、取りかかっていた東京での仕事が一段落したタイミングだったこと、師匠が所有していた空き家を住まいにすることが出来たこと、不要になった知人の車を譲ってもらったことなど、移住に向けての障壁になりやすい「移住先での仕事」「現在の仕事」「住居」「車」などの問題が、一気に片付いてしまったんですから。
 

現地訪問してから1カ月も経たない間に開けた小田原移住という道。私のこうした体験は特殊な例なので、あまり参考にならないかもしれないですが、移住希望者の方には、とにかく「現地に行ってみる」「現地の人に会ってみる」ってことをお薦めしたいと思います。
 

市の職員の方はもちろんですが、街の飲食店さんや不動産屋さんからも、ひょっとしたら、耳寄りな情報をゲットできるかもしれません。もちろん、私に会いに来て頂いても構いませんよ。特に、「これから農業をしてみたい」という方には、農業研修の現実や作物選びについてのお話はできるかと思いますので。

 

曽我の山からの景色

小田原を一言であらわすと

素晴らしい里山の風景が広がる街」ですね。
 

私が住んでいる下曽我地区は、まさにその言葉がぴったりの地域なんです。
 

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中でも登場した曽我兄弟ゆかりの地域なので、ハイキングしながら、歴史探索できるのが魅力です。少し高いところまで足を運ぶと、小田原の街並み、相模湾、そして富士山の3点が揃った素晴らしい景色を望むことができますよ。

歴史的なものが民家の間から突然あらわれる
街と海と山が一望できる

それから、冬は曽我梅林の梅の花も有名です。一面の梅の花と富士山が競演する景色は小田原の冬の風物詩です。

下曽我地区には電車は御殿場線しかありませんが、市内で一番大きいショッピングモールが近くにあるので、車があれば生活には困りません。小田原駅周辺とは違う里山ライフが堪能できるエリアなので、ぜひ、多くの方に下曽我エリアへの移住を検討していただきたいと思います!

里山の風景と富士山を楽しめる曽我で待っています!

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