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【対談】宮大工棟梁 芹澤毅棟梁 × 経済学者 井手英策教授 その4

小田原城天守閣の大改修において、市内の林業関係者や大工を束ねる棟梁として、最上階の摩利支天像安置空間を再現した芹澤毅棟梁。
小田原へ移住し、すっかり小田原を気に入った新進気鋭の経済学者、井手英策慶応大学経済学部教授。
職種も経歴も全く違う、小田原を愛する二人が、小田原のことやこれからの社会のあり方、それぞれの生き様などについて対談しました。
(2016年7月銅門内部にて)

共感しあうということが一番大事

井手:今日本ですごく失われている言葉は、「わたしたち」だと思うんです。今の日本を見ていると、「わたしたち」という言葉が消えていっている気がする。「僕」とか「あなた」はあるんだけど。「僕たちの何か」とか、「わたしたちの何か」という想いが、すごく弱くなっているという気がするんですよ。芹澤さんは背負うものを背負っているし、僕もあちこちで、新聞やテレビで発言すると、ネットなどで袋叩きにあったりするわけです。しかも僕、自分が好きだから、それをネットで見ちゃったりするから・・・(一同笑)。それでもやっぱり、言わなければいけないことってあるわけです。今の話聞いていて思ったのは、芹澤さんや僕が体を張って頑張っているみたいな話かというと、それだけではなくて、結局背負うというのは、歴史の重みというか、先人たちの努力というか、社会の厚みみたいなものだと思うんです。伝統であれ文化であれ、歴史的な堆積物ですよね。小田原にいて感じるのは、小田原市民みんながこれを背負っているんじゃないかなというのがどこかにあるわけです。別に、日々修行して、体を張って背負う事だけでなくて、このまちで生まれ、育ち、死んでいく、子どものときから年老いて、命の最期を迎えるときまで、常にお城と共にあるわけですよね。お城ではなくても、自然、海や森でも良いと思う。そういうものがあったときに、「このまちのために何かをしたい」と思う気持ちや、「ちょっとでもいいから今日より素晴らしい明日になってほしい」と思うような人たちというのが出てくると思うし、現に、小田原にはたくさんいますよね。だからそれって、今日の話の最初に戻ってしまいますが、「小田原って結局何が一番すごいんだろう」と思った時に、僕にとって「お城」と言ったんだけど、結局、それは、お城に表現されるような歴史の重みなんですよね。
小田原城天守閣最上階の摩利支天安置空間

小田原城天守閣最上階の摩利支天安置空間

芹澤:その、歴史の重みを表現するのに、「こんこんと考えればそんなことは分かるんですよ」と表現してきたんだけど、それがなかなか分かり辛い。そこで、僕は、衝撃的な「想い出」というキーワードにぶち当たったんですよね。そのことを、「自分たちの想い出、色々な想い出に置き換えてみてください」と。「そうすれば大事なものを守るという事が、わかるでしょ?」ということなんですよね。こういう風に言えば、色々な人に伝わるんだと。偏った職なんで、自分の事をダイレクトに伝えようとしても伝わらないんですよね。どういうことをしたら、どういう言葉で言ったら共感してもらえるのかなと。たぶん、共感し合うということが一番大事なんじゃないかなと。
井手:朝日新聞の記事で、キーワードはまさに「共感」だったわけです。共感が無い社会って、他人のことを想像しようとしたり、他人の痛みを理解することができないですよね。僕、専門は財政学ですが、税金なんて、みんな払うの嫌ですよね?だけど、そのお金が、「ちゃんと自分たちのために使われているんだ」と思えた時、共感できた時に初めて「税を払ってもいいや」と思うんじゃないですか。

共感と言うのは、違いをいくら競い合っても生まれないんです。道路を造る時に、ある人が「俺の前に引いてくれよ」、別のある人が「うちの前に引いてくれよ」、どっちに引くかなんてことを言っていたら、絶対にケンカになっちゃうわけです。そういうことをやるんじゃなくて、みんなの共通点が大事だと思うんです。それを話し合っている限り、絶対にケンカにならないし、「みんなで考えようよ」という中から共感が生まれてくると思うんです。今日の話の、一番大事なポイントって、みんなにとって同じもの、みんなの共通点。これがキーワードだと思うんだけど、小田原市民にとっては、それがもしかしたらこの「お城」かもしれないし、あるいは「御幸の浜」なのかもしれないし。想い出というのも、もちろん辛い想い出、悲しい想い出もありますよ。だけど、本当に心に残る想い出というのは、喜びであれ、悲しみであれ、愛する人と分かち合った想い出だと僕は思う。青春時代の思い出は少なくても、家族との想い出はいくつもある。想い出すと殆どが家族との想い出なんです。何故かというと、同じように生活をし、同じように時間を過ごし、同じように物事を考え、時にはケンカをし、何もかも分かち合って生きてきているので。もちろん家族には色々なケースがあるけれど。だから、想い出の根っこにあるのは、共に時間を過ごすとか、一緒に何かを考えるとか・・・。
芹澤:そういうことですよね。それが家族であったり、ときにはペットであったり、山であったり、川であったり、海であったり。時間を共有して、何か自分にメリットに感じたことは良い想い出になって、デメリットは悪い想い出になって。とにかく、共感しているということは、キーワードとして言えると思うんです。今日の対談は不思議な対談で、まったく未知の世界で過ごしている財政学者と、井手さんも、地域の狭いところで根を張っている人まで目が届かないと思うので、本当なら距離感がある二人だと思うんですよね。でも、僕は、最初に井手さんに会った時に、目を見たんですね。その眼は、自分にものすごく近い目をしていたんですね。「あ、この人になら、ぶつかっていっても絶対大丈夫だな」と思ったんです。だから、自分の事を話した。案の定、井手さんもそこに共鳴してくれて、自分の事を話してくれた。今日の話にもつながりますが、一番共感しているのは、(井手さんは)ものすごく背負っているんですよね。自分なんかより、もっともっと圧力がかかるところで言葉を発している。僕も少なからず、自分の想いで言葉を発して、公表している。上手く言えないけれど、何かをしなければいけない、そういう感覚を持っているんじゃないかなと。今、この時代に何かをしなかったら、さっき僕が表現した、「自分の首を自分で絞めている世の中を、これ以上進めちゃいけないよ」という感覚なのかもしれない。だから今、何かアクションを起こして、その自縛を止めて、もっと楽な・・・それは、変な「楽」じゃなくて。努力をすることが苦痛だとは思わないし、何もしないことが楽だとは思わない。一所懸命働くことは楽なことかもしれない。そういう事ではなくて、精神的な苦痛を解き放ってあげて、生きやすい世の中にしていったらどうかなと。先生の本をいただいて、字が少ない方ですが(笑)、あれでも自分にとっては字が多いかな。もっと絵が多くてもいいけど(笑)。ああいう本から学ばせてもらって、「ああ、大事な事のキーワードは共感していることがあるんだな」と思ったんですよね。だから、こうして隣で自分の意見をぶつけて話しても、僕は信じているんですよね。そこの部分があるから。だから、対談になっていると思う。みなさんに知ってほしい僕の想いは、こんなに距離感がある人でも、何かキーワードがあると、こういう対談ができて、こういう話ができて、次は行動に移れるかもしれない。そこをみんなに見てほしい。偏見ではなくて、「あの人はああだから、自分とは駄目だ」とか、そんなことではなくて、もっと色々な自分の生活を考えて、どうしたらいいかを考えると、色々くっつけるところがあると思うんですよね。

周りが良くなると、自分が良くなる

井手:今日の話、「何が同じか」がキーワードだったんだなと感じました。
小田原で面白い経験がいっぱいあるんですが、何より神輿ですかね。毎年肩がボロボロになって(笑)。一緒に担ぐ仲間で、他の地区から応援に来てくれる人たちがいるんです。すごく親切で良い人たちなんだけど、パッと見、ちょっと怖そうな人達で。親切にしてもらったお礼かたがたちょっと話しかけようとすると、ある人が「先生、あんたみたいな違う世界の人が、俺らなんかと口きいちゃいけねぇよ」と言われたんです。面喰っちゃって。でも、その時パッと思いついて、僕、おふくろがスナックのママをやってたので、「じゃあ何ですか?僕、おふくろがスナックのママをやっているんだけど、母ちゃんと口きいちゃいけないんですか?」って言ったんです。この瞬間、壁が一瞬で取り払われて、むこうの人達も一気にお酒やお菓子を取ってきて、「一緒に飲もうぜ」になるんです。何か分からないんですけど、距離を縮める瞬間があったわけです。でもその瞬間って、色々説明することとか、自慢話をすることじゃなくて、同じような香り、同じような空間、「ああそうなんだ」と思える瞬間があった時に、お互いが、何が同じかを考えることだと思うんです。
芹澤:今、僕と井手さんは目に見えないもので共感して、響き合っているものがあると思うんですけど、それは目に見えなくても、感じていればいいことですし、そう思っているんです。こういう言い方はすごく失礼ですけど、同じ立場で、世の中で活躍している方と話をする。その時に、僕は僕の職として妥協するんじゃなくて、もっともっと自分を磨き上げていく。井手さんも、もっともっと自分を磨き上げて、時にはライバルになることもエネルギーになって。自分を磨き上げるんだけれど、それは反発ではなくて、つながるところと、もっと濃くしなければいけないという想いで磨かなければと思ったんですよね。僕が学者になってしまったら終わりなんですよ。僕は職人で良いんです。職人で、もっともっと磨き上げて、学者は学者でもっともっと磨き上げて、それが3人、4人と増えていって、大事な所を育てていければいいんです。
御輿を担ぐようす

井手:芹澤さんっていうか、職人さんって我が道を行く人じゃないですか。要するに、「自分の世界に閉じこもって、ひたすら技を磨いて」って世界なんだと思うんだけど、芹澤さん、割と、あちこちで見かけますよね(笑)色々なところに芹澤さんは顔を出していて、自分の閉じられた世界だけでなくて、そこを開こうとしているというか。色々なところと関係を切り結んでいこうとするような。そういうことをおやりになっていて、そのメンタリティーがどこから来るんだろうといつも不思議でしょうかがなったんですけれども。
芹澤:一番分かりやすいのは、井手さんの本の中にありましたが、僕を含めて、社会が不安でしょうがないんですよね。「今の仕事が無くなったらどうしよう」、「家族をどうやって食わせていこう」と。そうすると、行動するしかないんですよね。その行動は、自分を磨いているだけでは自分しか良くならない。競争社会というか、周りの人を潰してしまうと、結局自分も潰してしまうという社会を見てきているんですよね。価格だけでしか判断できない技術の社会をつくって、それをやったあげく、材木屋はいなくなり、大工はいなくなり、仲間を潰して潰してという社会に乗ってしまうと、結局自分が、最終的にはいなくなると良く分かっているんです。だから、明日飯を食うために何かしなければいけないというと、周りを良くしていかなければ、自分が良くならないという確信があります。
井手:運命共同体みたいな。周りが良くなると自分が良くなる。
芹澤:そこは確信しているんです。でも、やっぱり人間だから、時には「なんでなんだろう」ということをたくさん思います。
井手:なるほど。そろそろ良い時間ですね。ちょうど1時間。ああ、そうだ。今日、絶対言っておきたかったことがあった。芹澤さんのところに若い人たちが集まって、ずっと作業をやっていたじゃないですか。芹澤さん優しいから、その場に僕とか僕の子どもたちを呼んでくださったんだけど、みんな必死で命がけで作業しているから、すごい殺気立っていて。「お前、邪魔だよ」みたいな雰囲気があって、子どもを連れてスッと帰るということが3回くらいあったんですよ(笑)ところが、お城の内覧会で子どもたちが集まった時に、子どもにカンナ掛けを手伝ってあげる時のあの人たちの笑顔。天守閣の中で、子どもたちにものすごい笑顔でカンナ掛けをしてあげているあの風景を見て、本当に泣きそうになりました。「ああ、あの人たちは子どもに冷たい人でも、乱暴な人たちでも無くて、本当は子どもたちのこと大好きで、あれだけ背負って、命がけでやっていたんだな」と心の底から感じた。感動しました。若い人たちを育てるって本当に大事だと思った。そして、若い人たちも、「この人みたいになりたい」とか、「俺も背負う」という気持ちが無いとだめですよね。芹澤さんだからできたんだろうな。みんながああできるとは断言できない。
芹澤:僕もできていないかもしれないけれど(笑)
子供たちにカンナ掛けをしてあげる様子

子供たちにカンナ掛けをしてあげる様子

芹澤毅棟梁と井手英策教授

芹澤毅棟梁(左)と井手英策教授(右)