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【対談】宮大工棟梁 芹澤毅棟梁 × 経済学者 井手英策教授 その2

小田原城天守閣の大改修において、市内の林業関係者や大工を束ねる棟梁として、最上階の摩利支天像安置空間を再現した芹澤毅棟梁。
小田原へ移住し、すっかり小田原を気に入った新進気鋭の経済学者、井手英策慶応大学経済学部教授。
職種も経歴も全く違う、小田原を愛する二人が、小田原のことやこれからの社会のあり方、それぞれの生き様などについて対談しました。
(2016年7月銅門内部にて)

このまちだったら生きていけるような気がするんです

井手:今のお話の中で、「想い出」というのがあったじゃないですか。その話が、今グッと来ていて、2011年3月に東日本大震災があって、4月に僕、倒れたんですよ。脳内出血で死にかけて。その時、よく「走馬灯のように自分の人生が蘇ってくる」っていうじゃないですか?僕ね、全然蘇らなかったんです。
芹澤:三途の川の向こう岸で、「まだ来ちゃだめだよ」と言われなかったですか?
井手英策教授
井手:いやいや、それだったらいいんだけど(笑)。たぶん、想い出に残るようなことが殆ど無いんですよ。良い大学を出て、大学の先生になってと、パッと見、人生の成功者のようだけど、そのために、ものすごく色々なことを犠牲にしているんです。例えば、友達と遊ぶとか、女の子を好きになるとか、ちょっと悪いことをするとか、色々な事を犠牲にして、その時間を全部勉強に回しているわけです。大学に受かったら次の目標があって、今度、教授になったらまた次の目標があって、ずーっと急き立てられるように生きていくわけです。そうすると、自分が死にそうになった時に「あれ、俺、想い出無いな」となって、「このまま死んじゃったら、俺、何にも無いじゃん」って、すごく怖い想いをしたことがあるんです。僕は、福岡の久留米で生まれて、久留米は石垣はあったけど、こういうお城は無い。石垣のことを想い出したからって、久留米には悪いけど、何の感慨もなくて。だけど、今子どもが三の丸小学校に通っていて、そうすると、彼にとってお城というのは本当に特別な存在なんだと思うんです。寄り道をして、ちょっとした悪さもして、色々な体験をして、そういうのがある中で大きくなっていって。例えば、限りなく東京弁に近いけど、小田原には方言があるじゃないですか。FMおだわらの鈴木さんなんてすごいですよね(一同笑)。僕は鈴木さんに会って、初めて小田原弁の「アクセント」に気付きました。
芹澤:小田原弁丸出しだと、かなり・・・(笑)。
井手:でも、方言というのもみんなの想い出なんです。みんなが同じ言葉を持っている。同じように、お城があるということもそうだし、自然と共に生きていく事とか、あるいは、四季折々の自然の変化とか、魚や果物、野菜の変化を感じながら、色々なことを想い出として吸い込みながら、このまちだったら生きていけるような気がするんです。だから、僕は、みんながみんな、塾に行って、良い高校に行って、良い大学に行くような、そんな人の集まりになってほしくない。自分の人生に照らし合わせて。その時に感じるのは、今までの社会って、尊敬する芹澤さんだからあえて言うけど、「勉強できないやつが大工になる」とか、「寿司屋の職人になる」とか、そんな考え方があったじゃないですか、日本の社会って。

だけど、今の社会、どこかの大学に行って、どこかの会社に入ったって、どんな人生になるのか分からないのが現実でしょ?いつクビになるか分からない、給料もいつ下げられるか分からない、みんな、ビクビクして生きているわけです。「俺、大工になって、こんな家つくりたい」とか、寿司職人になって「世界で一番うまいファストフードは寿司だ」と、自信と誇りを持ってお客さんに出せるような人たち。そういう人たちの世界がもっと広がっていってくれないと、とんでもなく生き辛い社会になっていくと思う。

希望を持って職に就ける土壌が小田原にはある

芹澤:さっきの「修行」という言葉につながっちゃうんだけど、僕は勉強というのは、その時期が早いか遅いかということで解釈しているんです。負け惜しみのように聞こえるんだけど(笑)。僕は勉強しなければいけない時期にしないでいたがために、今、ものすごく勉強しなきゃいけないなと、夢中で勉強しているんです。勉強ってそうじゃないですか。やらされていたら自分の頭に入らないけれど、自分でやろうと思った時に初めて頭に入って、それが活用できるようになって。何かのために勉強している、何かが好きだから勉強しているということがあると、それが原動力になる。勉強って、補って何かの役に立てるということがベストな事なんじゃないかなと。
井手:逆にいうと、勉強できて、良い大学に行く人って、勉強やらされた時に楽しくて、それがたまたま面白いと思えた人たちにすぎないと思うんです。
芹澤:でも、きっとその勉強というものをまた糧にして、世の中で素晴らしい職に就く人もたくさんいると思います。
井手:それはありますよね。
芹澤:だから、一概にどっちというわけではなくて、勉強する時期と言うのは、人それぞれタイミングであって、たまたま僕は、みんなが勉強しなければいけない時期、大学出なければ行けない時期に、スポーツをやったり趣味をやったり(笑)。とにかく体を動かすのが好きで、大工職人という父の職業があったところで、そういう環境に生まれたこともあって、「ああ、自分の職っていうのはこれなんだな」ということに気が付いて。仕事をして全体を見えるところに立った時に、「ああ、今まで勉強しなかったことが自分にとってこんなに不備なのか」と。大工さんは算数ができなければ全く話にならないし、三角形の面積が求められないと話にならない。図面も書けなければいけないし、積算もできなければいけない。お客さんとの対話の中で、道徳も知らなければいけない。実は、全部知らないと、大工になれないんです。ということは、勉強しなければいけないんですね(笑)。だから、若いうちにちゃんと、算数でも何でも勉強していけば、もっと簡単に解釈できたのに、結局遅い時期になって夢中で勉強して、今でも勉強している。
井手:勉強は、きっとずっとやらなければいけないんですけど、それを「好きだ」とか「楽しい」と思えて初めて本当に勉強しようという気持ちになると思うんですよね。あるいは仕事上必要だからやらなければというときに、そういう気持ちになる。でも、今の子どもたちを見ていて思うのが、「これ、僕本当に好きだ。だからこのことを自分の仕事にしたい」って思う、チャンスが無いような気がするんです。殆どが、勉強やらされる、塾に行かされる。東京で、あるお寿司屋さんに行った時に、「今、寿司の職人になるやつはいない」って言われたんです。「修行やるやつなんていない」と言われた。どうするかというと、専門学校に行って、そこで求人の張り紙を出して、人が来るのをずっと待つそうです。来てくれると、本当に大事にして大事にして、なるべく長く働いてもらうようにやっていくという世界があると。それも、結局、寿司を握るのが好きで、一所懸命修行しようという世界じゃなくて、勉強させられて、あまりできなくて、そういうところに仕方なく行って、という事じゃないかと。もっともっと、技や技術を持った人たちが尊敬される社会になってほしいと思うし、その前段で、子どもたちがそうなりたいと気づき、その道がちゃんとあるような世の中にしていかないといけないと思うんです。どうやったら子どもたちが、気づきの場と言うのかな・・・。
銅門内部

芹澤:希望から入る職ですよね。
井手:そう!良いこといいますね(笑)。
芹澤:できないから職に就くんじゃなくて、希望を持って職に就く。希望の多様性が職であって。
井手:本当は、大学で勉強することも職に辿り着く道なんですよ。僕たち、大学を目的のように思っているけど、そうではなくて、働くということが人生の大部分で、その働くために、例えば知識を身に着けようと思って大学に行ったり、技を身に着けたり、色々な世界がある。本当は、良く働く、ちゃんと働くための道の一つに大学があるはずなんですけど、「働く」というのが結果みたいになっていて、良い大学に行くということがとにかく目的で、あとは「高い給料をもらえるところに、どこでもいいから行けばいいんだ」という風になってきてしまっている。もうちょっと、職業教育ではないですけど、なんて言ったらいいのか・・・、いきなりみんな、大工の世界に入って、「さあ修行だ!」とするのもしんどいかもしれないので、職業の教育とか、訓練ができる場所があったら、もっとぐっと行きやすくなるのかなと。
芹澤:そういうことを皆が求めている・・・。
井手:求めているし、小田原にはそういう社会に向かっていく土壌のようなものがある気がするんです。今回だって、こういう対談をしようとなった時に、僕も真っ先に「芹澤さんと」と思ったし、これを見たり聞いたりしてくれる人も、「ああ、芹澤棟梁なんだ。」と思うと思う。やっぱり、そういう仕事に対するリスペクトがあるんですよね。小田原には。そういう社会って、まだまだこれからしぶとく生き残っていけると思う。だから、そこを子どもたちに開いてあげたい。「こんな可能性があるんだ!」って。
芹澤:私はしぶとく生きなければいけないということですね(笑)。